20日、21日酒井宏明県議、塚越勝史党県議団事務局長と福島県に行ってきました。
前述した費用弁償を寄付するのが第一の目的。
第2が現地の状況や被災者の願いを知ること
私たちや群馬県にできること、群馬県に生かせること、
その糸口がつかめればとの思いでした。
現地の様子や心を知るにはボランティアに参加するのが一番です。
20日は、いわき市でボランティア活動に参加しました。
20日は折しも台風の再接近日。
前日まで迷いましたが、ややそれそうなので出かけました。
現地まで3時間半とみて午前9時につけるよう余裕をみて午前4時半に自宅を出ました。
ところが、台風の影響で北関東道が一部通行不能に。
結局現地にある共産党も参加するボランティアセンターについた時には、午前9時を少し回っていました。
この日の活動は雨の中なので外での力仕事はなく、被災者を回って不安や要望を聞くアンケート活動。
私たちは雇用促進住宅に入っている方を回りました。
「共産党のボランティアです。ご要望を伺いに来ました。少しお話してもよろしいですか」と声をかけると、ほとんどの方が快くドアをあけてくれました。
津波で家を失った人、余震で家が崩れた人。家は大丈夫だったのに原発の放射能汚染で避難を余儀なくされている人。
多くの被災者がたくさんの思いを語ってくれました。
4ヶ月経ち、暮らしもだいぶ落ち着いて前向きな方が多かったのですが、
一日も早く現地に戻って商売を始めたいと意気込みと、そのための政府の支援について要望を語りながらも
ふと、「時々、このまま死んだ方が楽かなと思うこともある」と言う人も
みんな不安でしかたがないのです。この人たちの力にどうすれば慣れるのか、考えながら夕方まで対話しました。
宿舎に行く途中に、大きな津波被害を受けた海岸の街を通過。
がれきは片付けられていましたが、津波の威力のすごさに唖然としました。
翌21日は福島県庁へ
社会福祉課長さんに5月議会の費用弁償の全額18万円余を全額義援金として手渡しました。
教育や農政、県外避難者支援室などの担当者から被害の実態の説明を受けました。
また、福島県の共産党県議団(3人のとてもすてきな女性県議!!)と懇談しました。
帰りがけに県庁前の芝生に、持参したサーベイメーターを置いたら、高崎市街地の20倍の線量になりました。(県庁内はあまり高くはなかったのですが・・・)改めて放射能汚染のひどさを実感しました。