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2012年11月 3日 (土)

庭のハナミズキ

Image 今年の色ずきはちょっと汚らしい

2012年11月 1日 (木)

八ッ場に貴重な遺跡群--日本の“ポンペイ”

 八ッ場ダムの水没地域周辺で、縄文時代から江戸時代に至るいくつもの貴重な遺跡が出土していることがわかりました。産経土木常任委員会で取り上げ、しっかりとした調査と保存を要求。また、塩川鉄也衆議院議員とともに現地を視察しました。(写真)

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 発掘の中でとくに注目されているのが東宮(ひがしみや)遺跡です。江戸時代、天明3年(1783年)の浅間山の噴火にともなう泥流は、八ッ場ダム水没地域一帯を覆い尽くすように堆積したと考えられていますが、東宮遺跡はきわめて保存状態がよく、木製の日用品など当時の生活ぶりをリアルに伝える遺構・遺物が数々出土しています。

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 この泥流は、上流の嬬恋村・鎌原観音堂の発掘で発見された「老婆を背負った女性」を埋めた火砕流が吾妻川を流下したもの。火砕流噴出の直後には“鬼押し出し”の溶岩流が噴出しています。天明3年8月5日午前10時噴火という日時まではっきりした一連の遺跡は、“日本のポンペイ”という指摘もあるほど貴重な「災害遺跡」といえます。


 私は委員会での質問の中で、この遺跡が地元の生活再建の糧になり得ることを明らかにしながら、「絵に描いた餅」のダム湖観光からの転換を主張しました。  

八ッ場ダム――利根川水系河川整備計画をめぐって

いったんは「中止」が言明されたにもかかわらず民主党政権の迷走で「再開」が「宣言」された八ッ場ダム。しかし、建設には「条件」がつけられています。

 

それは「利根川水系河川整備計画」の策定です。河川整備計画というのは、その川の治水、水利用、環境などを総合的に検討して、流域住民の意見をしっかり取り入れて作ることが河川法で定められています。

 

ダムが必要かどうかもその中で判断されます。自民党らは、この河川整備計画をさっさとやらせようと、県議会に「意見書」を出してきました。

 

私は反対討論しました。

 

 

「利根川水系河川整備計画の早期策定と八ッ場ダム本体工事着工を求める意見書」

 

 意見書案は、利根川水系河川整備計画の早期策定を求めています。
 そもそもダムというのは河川整備計画の中で、その必要性が位置づけられなくてはなりません。八ッ場ダム建設の前提条件であることは明白です。そして河川法は、河川整備計画の策定にあたって流域住民の意向をしっかりと反映させることを求めています。

 

 利根川水系河川整備計画は2006年11月に策定作業がはじまりました。当時国交省は、公聴会や有識者会議、パブリックコメントなどを繰り返しおこなって原案を何度も修正する、という策定手順を示していました。ところが、理由不明のまま2008年5月から中断です。

 

 今回、河川整備計画の策定が八ッ場ダム建設再開の条件とされたことで策定作業がにわかにはじまり、利根川・江戸川有識者会議も再開しましたが、当初の策定手順とは異なった異様な展開となっています。

 

  21人もいる有識者の都合や膨大な資料を読み込む時間的猶予も考えて、通常なら2~3ヶ月に1回くらいのペースで開催されるはずが、9月25日に4年ぶりに再開されると10月4日、16日と連続開催の異様なペースです。そのため4日の会議などは出席が10名と半数を割る始末です。

 

 利根川水系は、わが国最大の集水面積を持ち、たくさんの支流があります。首都があり、人口が密集し、社会的な影響も大きい地域です。広く意見を聞き、慎重な計画策定が求められているのにあまりに拙速です。

 

 また、河川整備計画を本川と支流に分け、本川の整備計画だけで利根川整備計画を策定したことにしようとしています。しかし、官房長官裁定が求めているのは利根川水系の河川整備計画であり、本川だけの計画では条件をクリアしたことになりません。

 

 河川整備計画は、治水、利水、環境など河川に関するあらゆる問題を総合的に考えて策定するものです。ところが国交省は、八ッ場ダムを正当化するために膨らませた洪水の目標流量を有識者会議に示し、その数字だけを先に決めさせようとしてきました。今朝の新聞では国交省提出の資料の「捏造」疑惑が報じられています。

 

 目標流量を決めるにしても、それを達成するにはどのような河川施設が必要で、どの程度費用がかかり、環境への影響はどうなのか、いろいろ考えなければ是非は判断できません。なのに性急なことに16日の会議では、国交省の意を受けた座長が「議論が平行線だから」と目標流量議論の打ち切りまで言い出しています。

 

 このようないい加減で意図的な議論で利根川水系の河川整備計画がたてられてはたまりません。急がせるよりも慎重な策定を求めるべきです。

 

 意見書案は「平成27年度までのダム完成の遵守」もうたっています。実現不可能なことをなぜ求めるのでしょうか。前田前大臣は、今年2月の衆議院予算委員会で「本体工事に着工してから7年で完成」と答弁しています。

 

 本体工事は、現在行われている利根川水系河川整備計画の策定後であるから、仮に今年度中にに策定され、八ッ場ダムが位置づけられたとしても完成は平成32年度以降です。27年度ということは7年の工期を2年でやれと言うのです。手抜き工事でもやれと言っているようなものです。あまりに無責任であります。

 

 私は、ダム湖周辺のぜい弱な地質を繰り返し指摘してきましたが、地滑りでも起これば、さらに10年単位で完成は先延ばしとなるでしょう。

 

 水没地域周辺の遺跡発掘がすすむなかで、八ッ場には縄文時代から江戸時代まで、たくさんの遺跡が出土しました。とりわけ天明3年の浅間噴火にともなう、日本のポンペイともいえる貴重な遺跡が眠っていることがクローズアップされてきました。

 

 ダム湖観光にすがる生活再建はまったくの絵に描いた餅です。吾妻渓谷を生かし、温泉を生かし、そして史跡を生かした生活再建をすすめるべきです。そうした観点から、この意見書には賛成できません。

 

領土問題はどうすれば解決するのか――県議会意見書で討論

尖閣諸島、竹島――隣国と険悪な状況になっている領土問題はどうすれば解決するのか。

10月19日の群馬県議会本会議に自民党らが上程した関連する3つの意見書をめぐって討論しました。現政権や自民党のやり方では永久に解決しないでしょう。

日本共産党の考え方を知ってください。

◇「尖閣諸島問題に関する意見書」

 現在の日中間の緊張と対立は1972年の国交正常化以降で最悪の状況です。双方が物理的な対応を強化し、軍事的な対応へとエスカレートして行くことだけは絶対に避けなければなりません。

 

どうすれば冷静な外交交渉による解決の道に持ってゆけるのか、知恵の絞りどころです。わが党は、領土問題を解決するためには、相手国の国民をも納得させるような事実と道理を主張することが絶対に必要だと考えます。そのくらいの意気込みでないとこの問題は解決しません。

 

 尖閣諸島についてわが党は、詳細な研究をおこない、1972年に、この島が正当な日本の領土であるとの「見解」を明らかにしました。さらに今日の事態に即して検証を加え、先月、あらため「提言」を出しています。

 

 日本の領土であるという根拠は3つあります。第一に、日本は1895年に尖閣諸島の領有を宣言しましたが、これは、それまで持ち主がいなかった土地を先に占有する「無主の地」の「先占」で国際法上まったく正当な行為でした。中国側は明代や清代から固有の領土だと主張していますが国家として実効支配していたことを証明する記録は一つも示し得ていません。

 

 第二に、中国側は1895年から1970年までの75年間、日本の領有にたいして一度も異議や抗議を表明していません。他国による占有の事実を知りながら反対の意思表示をしない場合は、その国の領有を黙認したとみなされることは国際法上の法理です。これにも中国側は有効な反論ができません。大きな弱点です。

 

 第三に、日清戦争に乗じて日本が不当に奪い取ったという中国側の主張ですが、日清戦争の講和条約である下関条約や、それにかかわる交渉記録を詳細に調べてみても、日本が不当に奪い取ったのは「台湾とその付属島嶼」と「澎湖列島」で、そこに尖閣諸島は含まれていません。ここでも中国側の主張はなりたたないのです。

 

 これほど明確な根拠がありながら、なぜ今日のような事態になっているのか。それは歴代政権の対応に重大な問題があったからです。

 

 中国は1970年には尖閣諸島の領有をいいはじめています。ところが日本政府は72年の国交正常化の際も78年の日中平和友好条約締結の際も、尖閣問題を棚上げしたのです。公表された議事録をみると、72年の首脳会談で当時の田中角栄首相が「尖閣諸島についてどう思うか」ともちかけ、周恩来首相が「今これを話すのは良くない」と応じて双方で「棚上げ」するという事実上の合意を交わしています。

 

78年には中国の鄧小平副首相が「尖閣は20年も30年も放っておこう」というと園田外務大臣が「閣下、もうそれ以上言わないでください」と応じている。

 

 本来なら日本政府は、国交正常化や平和友好条約締結時に尖閣領有の正当性をしっかりと主張するべきでした。「棚上げ」という対応はだらしない外交態度だったと言わざるを得ません。だいたい「棚上げ」ということは領土問題の存在を認めたことになる。

 

 にもかかわらず、その後、歴代政権は「領土問題は存在しない」という態度をとり続けてきました。国連総会で中国が具体的な論立てで領有を主張しても、日本は理を尽くした主張ができず、野田首相も「我が国固有の領土であることは明々白々」くらいしか言えない。まともな反論もできない自縄自縛に陥っているのです。

 

「領土問題は存在しない」と突っぱねることは一見「強い」ように見えても外交においては弱い。日本は完全に押し負けています。このままでは世界中が中国に軍配を挙げかねません。

 

 意見書案には今日の事態について、民主党政権の「外交の基本姿勢の欠如が招いたものである」と書いていますが、その基本姿勢は歴代の自民党政権の姿勢であって、民主党はそれを踏襲しているに過ぎません。事実誤認であり、責任の転嫁であります。

 

 なぜ歴代政権が、この問題に正面から取り組めないのか。そこには過去の侵略戦争にたいする根本的な反省が欠けているからであります。根本的な反省がないから侵略で奪い取った島と正当に領有した島の仕分けができない。「台湾は不当に奪い取って悪かったけれど尖閣諸島は違うよ」という論立てができないのです。

 

 折しもEUがノーベル平和賞を受賞しました。その基軸となったのはナチスの侵略戦争を正面から反省したドイツと隣国フランスの信頼関係です。今こそ日本も、そこから学ばなければならないと思います。

 

 連日ニュースが報じるように、日中に「領土問題に関わる紛争」があるのは誰の目にも明らかです。それを正面から認め「外交不在」から「外交攻勢」に転じることこそ、尖閣問題解決の唯一の道であります。

 

 意見書案は、「領土問題が存在しないという明確な事実を国際社会に示す外交努力」を求めていますが、いったいどんな外交でしょうか。それこそ領土問題が存在していますと言って回ることになる。こういうのを自己矛盾といいます。問題をこじらせるばかりの物的な対応の強化も含めて、このような意見書案に私たちは到底賛成できません。

 

 

◇「対韓国外交の見直しを求める意見書」

 

 竹島をめぐる日韓の緊張と対立も激化しています。憲法によって国政についての権能を有しない天皇に対する李明博大統領の発言など、日本の政治制度を理解しない論外の言動も目立ちます。しかし、この領土問題の解決も物理的な対応の強化では一つも解決しません。道理に立った外交が必要です。

 

 日本政府は1905年、この島であしか漁をしていた中井養三郎氏の求めを受け、同島を日本領として島根県に編入しました。戦後のサンフランシスコ講和条約も、竹島を日本が朝鮮に対して放棄する島の中に含めていません。日本の竹島に対する領有権の主張には歴史的にも国際法的にも明確な根拠があります。

 

 しかし、尖閣諸島と違うのは、竹島の領有時期が日本が韓国を武力をもって植民地化していく時期と重なる点です。日本は1904年に「第一次日韓協約」によって、すでに韓国の外交権を事実上奪っており、韓国は異議をとなえることができませんでした。

 

 いま問題なのは、日韓間に解決を話し合うテーブルがないことです。竹島領有の歴史的事情を考えるならば、日本政府が過去の植民地支配にたいする根本的反省と精算を行うことが、この問題での冷静な話し合いのテーブルをつくる上で不可欠です。

 

 もう一つ付け加えるならば、竹島について日本は外交交渉を求めています。しかし実効支配している韓国は「領土問題は存在しない」という。一方、日本が実効支配している尖閣諸島については日本は「領土問題は存在しない」と言う。片方で外交交渉を求めているのに片方は外交交渉はしない――こういうダブルスタンダードは説得力がなく、ますます日本の外交を弱くしているのです。

 

 意見書案は、物理的な対決姿勢の強化ばかり求めています。問題解決に何の役にも立ちません。植民地支配のもとで日本が韓国から奪ってきた韓国民の宝ともいえる「朝鮮王室儀軌」を返還したことについて過剰な配慮だとするに至っては植民地支配への反省のかけらもありません。このような意見書の採択に強く反対します。

 

 

 
◇「公正な教科書検定を求める意見書」

 

 この意見書案は、日本が過去に起こした侵略戦争を「正しい戦争」「正義の戦争」だったと記述する教科書を日本の教科書の主流にしようという意図の元に出されています。このような意見書に賛同する方は、いったいどんな日本人をつくろうとしているのか。

 

 明治以降、日本がアジア各国に侵略の手を伸ばしたのは紛れもない事実です。台湾を奪い、韓国を併合し、満州国をでっち上げ。とりわけ中国との15年にわたる戦争、そして太平洋戦争では、アジア中で2000万人を超える犠牲者をだしました。これらは歴史的に確定した事実であり、日本は加害者です。これを正しく教えることがなぜ自虐的で反日的なのか。これを教えると自国の歴史に誇りを持つことができないなどとなぜ言えるのですか。

 

  「過去に目をつむる者は未来に対しても盲目である」と、かつてドイツのワイツゼッカー大統領が演説しました。ナチスドイツの侵略と犯罪をしっかりと教育しているドイツが自国に誇りを持てない自虐的で自信のない国ですか。EUの中心として隣国の尊敬をあつめ、自然エネルギーへの転換で世界を引っ張る堂々とした国ではありませんか。

 

 逆に、あの侵略戦争は正義の戦争だった、などという歴史認識で、アジアの人たちと仲良く貿易できますか。尊敬される国になれますか? 群馬県は上海に事務所を開いて何をしようというのですか。訪れた中国人に歴史を問われたら何と答えるのですか。

 

 正しい歴史を教えることが自虐的などというのは、まったく誤った考えです。隣国に媚びへつらうことでもない。自分の国の過去の過ちを正面から見据えることができないようでは、他国の過ちについても説得力をもってしっかりと発言できないのです。侵略戦争への正しい認識があってこそ領土問題でも自国の主張を堂々と述べることができることは先ほど論じたとおりです。

 

 小説でも、ドラマでも、漫画でも、自分の誤ちを棚に上げて傲慢な態度をとる者は、どんなに強くても、嫌われ者の典型です。私は、子どもたちをそんな日本人にしたくない。世界から尊敬される、堂々とした日本人を育てる意味からも、このような恥ずべき意見書には断固反対します。

 

秋の県議会(9/18~10/19)の報告⑥ 県職員の給与

 所属長級で151万円、係長級で95万円――群馬県職員の給与がこの10年間で激減していることがわかりました。行財政改革特別委員会での私の質問に当局が答えました。

 

 同委員会では自民党議員らが県の投資的経費(公共事業など)と義務的経費(人件費など)を比較して、投資的経費が大幅に減っていることを問題にし、「人件費を減らせば県民のための予算が増える」と主張しています。

 

  しかし、学校の先生、警察官、県立病院職員、女性・児童相談所職員などの例で明らかなとおり、働く職員こそ県民サービスの担い手です。むしろ義務的経費こそ県民向け予算といえます。

 

 私は、この間の県庁リストラで同規模の栃木県と比較して群馬県の職員定数が約六百人も少なくなっていることに触れながら、「これ以上の職員削減も、給与の削減も、決して県民のためにはならない」と人件費削減論を批判しました。

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