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2010年6月23日 (水)

財界の身勝手を丸呑みするのか

参院選を前に消費税増税が大争点に浮上した。

年収200万円以下の人が1000万人を超えると言われるくらい貧困が拡大し、国民生活が困窮しているのに、菅総理も自民党も、国民の痛みが少しもわかっていない。消費税10%が押しつけられれば、国民生活も日本の景気も取り返しの付かないことになる。

日本の借金は莫大で財政再建は待ったなしだが、大企業は一円も負担せず、零細企業や消費者だけが負担する消費税で国民から搾り取ろうというのは大問題だ。

そもそも、莫大な借金は、歳出面ではムダな大型公共事業の乱発、歳入面では大企業や大資産家減税による大穴が最大の原因ではないか。

そういう点で、今回の消費税増税議論で許せないのは、大企業の法人税の減税とセットで議論されていることだ。

日本経団連が今年4月に出した提言で「消費税を一刻も早く引き上げろ」「法人税を減税しろ」と求めている。民主、自民の消費税増税議論は、財界の言い分丸呑みだ。

貧乏になっている国民に増税、大もうけの大企業に減税などとんでもない。

財界は、日本の法人税40%は高い、国際競争力を強めるために減税しろ、という。しかし大企業は「研究開発費減税」とか「外国税額控除」などの優遇税制で実際の税負担率は30%とヨーロッパと変わらない。企業が負担する社会保険料を含めれば日本の大企業はヨーロッパの8割、7割ていどで軽い方だ。

国際競争力云々というが、莫大な内部留保をかかえ、現時点でも大黒字なのに国際競争力を失っていることこそおかしいのではないか。原因は、大企業の経営者らが、目先の利益ばかり追い求める思考に陥っている点ではないか。

構造改革で、日本の大企業は正社員をどんどんリストラして派遣など非正規の雇用に置き換えた。国民は貧乏になり、大企業は肥え太ったが、日本社会全体の消費が縮小したために、大企業は儲けたお金を国内向けの投資にまわすことができない。海外への投資にどんどん回ってしまい。日本の富が海外に出て行っている。消費税増税、法人税減税は、これをさらに加速させることになるだろう。

若者の過半数が非正規の雇用。大学でても2割、3割がアルバイトなどに甘んじるしかない。そんな国が国際競争力を維持できるだろうか。

派遣労働法を一日も早く抜本改正し、働く人は正社員が当たり前の社会にしなくては、日本の浮上はない。財界の身勝手を押さえ込める政治が求められている。

2010年6月11日 (金)

口蹄疫で群馬県に要請

宮崎県の口蹄疫が封じ込めに失敗して都城などにも飛び火しているようです。感染力の強さに驚きます。

宮崎県はすでに20万頭規模の豚や牛の殺処分がされています。産地が崩壊しかねないたいへんな被害です。群馬県でもしこのような事態になれば、と思うと背筋が寒くなります。

群馬県は全国でも有数の畜産県です。県として口蹄疫に対する万全の備えをすすめるように共産党群馬県委員会として申し入れをしてきました。

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対応してくれた中澤農政部長や宮川畜産課長から、群馬県としてのとりくみの方向を説明していただきました。

2010年6月 2日 (水)

養蚕

浜川町の長野猛さん方で、春の蚕がすくすくと育っています。

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かつて群馬県は養蚕大国でした。私が生まれ育った佐野地域も桑畑だらけで、ドドメを食べながら帰ったものですが、外国産の繭や生糸の輸入による価格低迷でいまは見る影もなくなりました。

聞けば、旧高崎市の地域で養蚕をしているのは11軒だけとか。かつては春、夏、初秋、晩秋晩々秋と、1年に5回は繰り返した養蚕ですが、そこまでやる人はもういないようです。

春蚕は、一年の中でも最も収量がが期待できるのですが、今年は異例の寒さで、桑の食いがよくないとか。

群馬県は、富岡製糸場などを世界遺産に登録しようとしていますが、肝心の養蚕は風前の灯火のままでいいのか、考えさせられました。

2010年6月 1日 (火)

保育のつどい

「第9回群馬保育のつどい」が30日に、育英短期大学などを会場に開催されました。西毛地域の共同保育所などでつくる実行委員会が、保育の充実、子育ての輪をひろげようととりくんでいるもので、全体集会では、育英短大の体育館がいっぱいになりました。Img_0502_2 Img_0504_2

オープニングでは、獅子踊りや子供たちの元気な合唱が感動を呼びました。

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早稲田大学の増山均さんが「楽しく子育てしませんか――子育ては親育ち・社会づくり」と題して記念講演しました。

子育てを楽しくする視点や、社会づくりの話はとてもためになりました。

バルセロナで半年間出張していたときに、娘と3歳の孫からもらった手紙は、バルセロナの人たちに見せると、娘の日本語の手紙はわからないけれど、字になっていない落書きのような孫の手紙は気持ちが伝わった話は愉快でした。

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